嘘つきは殺される

舌の根も乾かぬうちに

多分これが大人になること

成長して、お金が使えるようになった。
小学校の時には月に500円だったお小遣いが、
中学生で3000円になって、
高校生になったら5000円になった。
大学生からはお小遣いはなくなったが、
より多くのお金が使えるようになった。

私が自分としてオタクになったと思ったのは中学2年生からだった。
ライトノベルを読み始めて、今までよりもずっと多くの少年漫画を読んで、
自分でも集めるようになった。
それまで買ったことがあったのは、ちゃおなどの少女漫画だけだった。
でも、あまりお金を出した記憶はない。

同じ中学校の友達は、当時からいろいろなものを買っていた。
キャラクターソングとかドラマCDとかは1枚が3000円に+消費税ぐらいの値段で、
当時の私からしたらとても高くて、買えなかった。
ひと月のお小遣い以上の金額を、そこに出す気にならなかったのだ。
でもだからこそ、新しい漫画を買うときのうれしさはひとしおだった。
お金がなかった中学時代はブックオフで、
高校生になったら今まで持っていた漫画の新刊は普通に定価で買うようになった。
今だったら、あの時の数倍、あるいは数十倍のお金が出せる。
でも、あのときのうれしさに比べると劣るように思ってしまう。

高校の時にはDVDなんか手が届かなかった。
コラボカフェなど、ドリンクに1杯600円も700円も出していられるかと思っていた。
本屋でずらりと並んだ新刊の、その中で試し読みとかいろいろとして吟味して、
財布の中に入っている金額と相談して、やっと買った1冊がうれしかった。

今日、ブルーレイを初めてアマゾンで買った。
お金は確かに手元からなくなっているのに、
あの時のように「買い物をした」ことに対して思うことがない。
きっとこれからも、こうやってお金を出して、
だんだんと気持ちが薄れていくのだろうか。

お金を出すことが、ただの行為ではなく、
行事であったあの頃が楽しかった。
大人になるって寂しい。

私は批判が好きだ

タイトルの通り、私は批判が好きだ。
好きなものをどういう理由で好きだということも、
嫌いなものをどういう理由で嫌いだということも、
分からないものをどういう理由で分からないかということも、
言葉にして書くことが好きだ。
自分の中でもやもやしていたことを言葉にすることで、
少なからず気分が落ち着くこともあるし、
嫌いなものを嫌いだということは憂さ晴らしになる。

よく、「好きなものだけを言おう」とかなんとか、TLで見るように思う。
それは私が批判が好きだから、「批判なんてしないで、好きなことだけに囲まれて生きよう!」って意見に反感を覚えて目についているだけであるようにも思えるが、
じゃあ好きなことに囲まれて行きたいんだったら、
ブロックなりなんなりをしてしまえばいい。
それこそツイッターなんだから。
「好きなことしか言わない」っていうのが嫌だ。

私は批判をするのが好きだ。
自分が見て面白くないと思ったものに対して、
「どうして私が面白くないと思ったのか」
っていうことをしゃべりたい人だ。
むしろ、そこさえ直せば面白いのに、とか、
それ以外のこういうところが好きだ、とか。
「その作品を好きだって人もいるんだから配慮して下さい!」
とか、みなきゃいいのに。

って言いながら、私がこんなことを書いているのも、
そうやってTLに流れてくる言葉に私が左右されやすいからだけれども。
それこそ私が気にしなければいいのに。

そんな気にしすぎる私が言えたことではないが、
どこの誰が嫌いだろうと好きなものは好きで、
どこの誰が好きだろうと嫌いなものは嫌いで、
なんでそれを隠せと言われなければいけないのか。

「批判的な意見ばかり見る」とかツイッターなんてそんなもんでしょ。
批判的な意見の中に、共感があったら拡散されるのがツイッター
肯定的な意見も共感さえあれば拡散されるのがツイッター
きっと本質は昔から変わっていないのに、
私たち自身がツイッターにつながりを求めているから、
まるで現実の友達付き合いみたいになっているように思う。

そんなこと言われても。
あなたは私のリアルの友達じゃあない。

私は批判が好きだ。
でも他人の意見が死ぬほど気になる人間だから、
大っぴらに批判ができない。
好きなものは好きと言って、
嫌いなものは嫌いと言えるような人に、
せめて、顔を合わせないところぐらいではそう言える人間に、
私はなりたい。